お釈迦様の教え

今から約2千五百年前、紀元前五世紀にインドでお釈迦さまがお説きになったのが仏教です。カピラ城の王子「ゴータマ・シッダルダ」として四月八日に誕生されましたが、一週間後に母マ―ヤ夫人が亡くなって、叔母によって育てられます。このお母さんとの別れが、その後に大きな影響を与えます。

 伝記によると、誕生した時に七歩歩んで天と地を指して「天上(てんじょう)天下(てんげ) 唯我独尊(ゆいがどくそん)」(天にも地にも我独り尊とし)と宣言されたと伝えられています。「他の人を認めず、自分ひとりが偉い」と表現されがちですが、お釈迦さまは生命の尊さを第一に大切にお説きになっていますので、その教えを象徴した出来事として「天にも地にも大切な生命が今生まれた」と解釈すべきでしょう。

 やがてゴータマ・シッダルダは成長していきますが、思い悩む日々が多くあったと伝えられています。その悩みから抜け出すために、二十九才の時に城を出られたお釈迦さまは、当時インドで行われていたインド教の修行に入ります。この修行は苦行をすることにより身体と魂を分離することを目的とし、仙人のように永遠の生命を求めるものです。いくら修行をしてもお釈迦さまの悩みは解決できません。

その悩みとは何か?

人間は生まれてから死ぬまで、必ず出会わなければならない苦しみがあります。人生の中で病気や年老いていく苦しみ、死ななければならない苦しみは代表的なものです。これらの苦しみからどうしたら解放されるのか。また死んだらどうなるのだろうか。この悩みに立ち向かわれたのがお釈迦さまです。二十九才からの六年間、このために修行をしますが解決できず、苦行を捨てて菩提樹の下で瞑想に入られました。やがてその瞑想の中で、この悩みを解決されて「さとり」を開かれたのです。

 その「さとり」、悩み苦しみの根本的な解決方法とは何であったのでしょうか?

それは人間は自分自身が最も可愛く、大事であり、常に「自分が、自分が」と自分と周りにあるモノに執着して苦しんでいる。またあれも欲しい、これも欲しいとその欲望は際限がありません。この欲望や執着は「すべて存在するものは永遠に変わりがなく、そのまま在り続けて欲しい」と願う心から起きるものです。これに対しお釈迦さまは「全ての出来事、存在するものは原因とさまざまな条件があって成り立つのである。人間も一人で生きているのではない。多くの人々、あらゆる生き物とお互いに結びつき、助け合いながら大自然の中に存在している。これを忘れているから執着の心が起きるのだ」と説かれました。これが「縁起(えんぎ)の教え」です。最近の言葉で言うと「共生(きょうせい)」「ともいき」ということになります。

人間の生き方は?

人間は必ず死ななければならないことを説かれたのもお釈迦さまです。当時インドでは何回も生まれ変わる(これを輪廻(りんね)転生(てんしょう)といいます)ことによって、だんだんと神の国に近づいていく、あるいは仙人のようになるために修行するのが一般的な考え方でした。またバラモン(インド教の指導者)階級を頂点とする階級制度があり、人々を苦しめていました。このような考え方を打ち破り、人間は平等に救われる教えを示されたのがお釈迦さまです。

縁起の教えを体得し、正しい智慧を持つことにより、まさに幸福な人生を過ごすことを教えられています。人間は必ず死ななければならない、また何時死ぬかも判らない。その時が訪れるまで、与えられた生命を活動し、その使命を全うすることにより、苦の世界に再び巡ることが無くする仏の救いの力を頂きことができると、人生の大切さを説かれたのでした。

お釈迦さまは様々な考え方や、能力に応じた説き方をされましたので、その教えは多くの経典として残されています。その経典と教えはインドからシルクロードを経て中国に伝わり、朝鮮半島から日本へと到着しました。奈良時代から日本の精神文化の中心となった仏教は生活の中に定着し、芸術、美術、文芸など様々な領域に影響を与えました。